【連載】横浜から最北端へ|第2回「はじめてのリゾートバイト」

読者の皆さま、こんにちは。
札幌で仕事をする傍らライター活動をしている白丸あすかです。
私は神奈川県の横浜市出身で、都内の大学を卒業後、日本最北端の稚内に就職して6年間を過ごしました。稚内では日々の暮らしや北海道あるあるを漫画にしてSNSで発信をしており、Webマガジンの連載、電子書籍発売、公認インフルエンサー就任といった活動をさせていただきました。
本連載は北海道での暮らしと地方移住、そしてリゾートバイトをテーマにした実際の体験談です。
アルバイトをしよう
私が新卒で神奈川から北海道に地方就職した理由を紐解くために、時間を大学時代まで戻します。私は当時から色々な場所で出かけるのが大好きで、大学生になったら長期休みを使って長旅に出るのが夢でした。
しかし、旅にはお金が必要です。
旅費を捻出するためにアルバイトをしようと決心した私でしたが、コンビニや飲食店といった一般的な業種で働いてしまうとシフトに縛られて長期の休みを取るのが難しくなってしまうことに気がつき職探しが難航しました。お金を稼がなくてはいけないのに、稼ぐための仕事が枷となって旅に出られない。そうなってしまっては本末転倒です。
そこで白羽の矢を立てたのがリゾートバイトです。

リゾートバイトは全国各地にある観光地に住み込みで働く仕事のことで、職場によってそれぞれ期間が設定されています。学生なら長期休みなどに集中してお金を稼ぐことができるほか、寮や食事の補助があるため生活費がほとんどかかりません。何より「旅行気分でお金を稼げるのならば趣味と仕事を両立できて一石二鳥」だと考えたわけです。
私はさっそくリゾートバイトのリサーチをし、北海道の知床の観光船の仕事(今思い返すとなかなかのレア求人でした)にリゾートバイトの派遣会社経由で応募をして無事に採用をいただきました。こうして私は、大学1年の夏休みに人生初のリゾートバイトをするために北海道の果てへと向かうことになったのです。
何もかもがはじめての知床生活
羽田から飛行機で約2時間。バスに乗り換えてさらに2時間。私は知床半島のオホーツク海側に位置する観光拠点「ウトロ」の町に降り立ちました。これから約2ヵ月間、大学一年の夏休み間をこの地で過ごします。


ウトロには最低限コンビニなどのお店がありますが、大型のスーパーやホームセンターは存在しません。まとまった買い物をするとなると片道40km。遠く離れた斜里の町まで足を運ぶ必要がある、まさに最果ての地でした。知床半島は世界自然遺産に認定されていることもあって、エゾシカやヒグマが道路を闊歩している大自然に囲まれた土地でもあります。
……秘境レベルが高い知床でやっていけるのかどうか。私は期待と不安が入り混じった心持ちでリゾートバイト先の門を叩きました。
私の勤め先はウトロにある小型観光船の会社(※注2022年に発生した沈没事故で問題になった運営会社とは別の会社になります)で、お客様の案内や駐車場の運営、船の入出港のサポートなどが主な仕事内容です。職場で働く仲間は半数以上がリゾートバイトで稼ぎにきている同志だったので年齢や出身地は点でバラバラ。インバウントのお客様に対応するための要員として海外から来ているスタッフもおり、閉鎖的な雰囲気はなく、和気あいあいとした環境で仕事に臨めました。

色々と心配だった生活面については、想像していたよりも快適でいい意味で予想を裏切られることになります。
まず、寮はシェアハウスに近い感覚での共同生活でしたが、一人一人に個室が割り当てられていて最低限のプライバシーが確保されていました。10年前のことなので記憶が曖昧な部分もありますが、食事は1あたり数百円で3食付き。さらに、近くのホテルの日帰り入浴が従業員の特典として使えたため、温泉に毎日入れました。
毎日同じ時間に起きて、仕事をして、ちゃんと食事を食べて、温泉に入る。
忙しいながらも規則正しい生活を送ることができていて満足でした。
海が荒れて観光船の営業ができない日にはみんなで町へドライブに出かけたり、知床半島の反対側にある羅臼(らうす)の町で海産物の加工の仕事をさせてもらったりと、貴重な体験もたくさんできました。最初のうちは慣れない土地と慣れない環境での仕事に戸惑うこともありましたが、日を重ねるごとに楽しさを覚えるようになりました。


そんな最果てでの生活を満喫していたある日、私はふと思います。
「自分の足がほしい……」と。
この時の私は車の運転免許を所持しておらず、公共交通網が脆弱な北海道の端っこでは行動範囲が大幅に制限されていました。さらに知床は観光地ゆえに全国各地からたくさんの旅人が自慢のマイカーやバイクに乗って颯爽とやってきます。そういった人たちに触発されて、自分にも旅の相棒が欲しいと思ったのです。
旅に関することだけ無駄に行動力がある私は、リゾートバイト前半の給料が振り込まれると即、通販で折りたたみ自転車を購入。移動手段を手に入れたあとは相棒と一緒に色々なところへ出かけ、これまで以上にリゾートバイトを謳歌してやりました。稼いだお金を結構使ってしまった計算になりますが、元々は旅をしながら稼ぐことが目的のひとつでしたのでそこは良しとしましょう。

何もないと思っていた北海道の果てにもちゃんと仕事があり、暮している人がいて、こんなにも魅力であふれている。……そして、自分はその環境を楽しむことができている。
正直、知床に行く前はよほど辛かったら期間満了を待たずしてリゾートバイトを辞めて横浜に帰ることも視野に入れていたのですが、そんな考えなんてすっかり忘れしまうくらいに2ヵ月はあっという間に過ぎていきました。
リゾートバイトを通じて
朝晩の冷え込みが厳しくなってきた頃、9月の終わりとともに知床でのリゾートバイトは期間満了となりました。往路では存在していなかった大荷物(自転車)を抱え、私は知床斜里駅からの普通列車でお世話になった知床を発ちます。
一両編成の列車内は、早くも大活躍の暖房と差し込む朝陽の暖かさに包まれています。ディーゼルエンジンの唸りとともに列車が動き出した時、私の目には自然と涙が溢れていました。……どうやら自分で思っていた以上に、この夏の体験は深く、深く、大切な思い出として心に刻まれていたようです。

もっと色々な仕事を経験してみたい。
知らない場所に行ってみたい。
いつかまた、北海道に戻ってきたい。
(あと、車の免許を取ろう……)
首都圏と180度違う知床という世界で働く人たちに出会い、一般的な就職のイメージに囚われない価値観に触れたことで、私の考え方にひとつの変化が生まれていました。ちょうどこの時から、地方での仕事や本格的な移住への興味が湧きはじめたのです。
そして、知床での生活以降の私はこれまで以上に色々な所へ出かけるようになり、旅とリゾートバイトの経験を積んで自分の人生設計を明瞭にしていくことになります。その過程のお話は次回以降の連載で書かせていただきます。

































