【連載】横浜から最北端へ|第4回「自分の住むところ探しの旅」

読者の皆さま、こんにちは。
札幌で仕事をする傍らライター活動をしている白丸あすかです。
私は神奈川県の横浜市出身で、都内の大学を卒業後、日本最北端の稚内に就職して6年間を過ごしました。稚内では日々の暮らしや北海道あるあるを漫画にしてSNSで発信をしており、Webマガジンの連載、電子書籍発売、公認インフルエンサー就任といった活動をさせていただきました。
本連載は北海道での暮らしと地方移住、そしてリゾートバイトをテーマにした実際の体験談です。
大学の長期休みを活用して様々な土地でのリゾートバイトに明け暮れていた私でしたが、 稼いだバイト代は主に趣味の「旅行費用」として使っていました。今回はこれまでと少し毛色を変えて、リゾートバイトの先にあった学生時代の旅行エピソードを綴りたいと思います。
旅行趣味について
私が旅行趣味に目覚めたのは、高校2年生の時に一人で金沢へ行ったのがきっかけでした。私の家には家族旅行の風習がなかったので、自分の足で遠出をして見た非日常の世界が、とても新鮮で刺激的だったのです。旅人の世界に足を踏み入れた私は「青春18きっぷ」や「深夜バス」といった“時間はかかるがお金はかからない乗り物”を駆使した、学生らしい貧乏旅行から少しずつステップアップをしていきました。
大学に進学しリゾートバイトで旅費を捻出できるようになると、旅行の「目的地」と「期間」が徐々に「遠く」「長く」なっていき、1年生の春休みには公共交通機関を使って日本一周旅行もしました。この時に一般人が到達可能な日本の東西南北端制覇と、47都道府県全てへの訪問を達成しています。ただし、岐阜でのリゾートバイトは辛かった思い出だけではありません。
忙しい反面やりがいはありましたし、眼前に聳える雪化粧をした飛騨の山々は息を呑む美しさでした。知床の時同様に従業員はホテルの温泉を利用することができましたので、仕事おわりの疲れきった身体を癒せるバスタイムも至福の時でした。よって岐阜でのアルバイトがきっかけで「もうリゾートバイトはこりごりだ……」とはならなかったのが幸いだったと思います。

私の旅のスタイルはその後も変化を続け、リゾートバイトで貯めたお金で原付バイク(スーパーカブ)を購入し、最終的には自分の愛車で移動する旅のスタイルが定着しました。そして、大学3年生の夏にこれまでにない規模の冒険に出るのです……!
原付バイクで日本縦断した時の話
2017年、夏。
当時大学3年生だった私は、夏休みの恒例行事となっていた知床ウトロでのリゾートバイトを2週間ほどの短期で切り上げ、その足で北海道から鹿児島までの日本縦断ツーリングを決行しました。走行予定距離は推定で3,000~4,000kmにおよび、1日に150km~200km前後走ったとしても1ヵ月弱かかる長旅になります。この挑戦は、リゾートバイトと学生旅行の集大成とも言える気合いの入ったものでした。
お盆休みの忙しさが落ち着きはじめた8月19日。毎年の顔なじみとなった職場のメンバーに見送られ、私は知床を出発しました。一旦オホーツク海に沿って北上した後、日本最北端の「宗谷岬」を経由してから南下を開始します。5泊6日の道内行程で宿泊地としたのは、興部(おこっぺ)・稚内(わっかない)・留萌(るもい)・札幌・洞爺(とうや)湖(こ)の5ヶ所で、6日目の夜に函館から青森行きのフェリーに乗って北海道を脱しました。道内ではライダーハウスやキャンプ場に多く滞在し、雄大な景色の中で同志のライダーたちとの交流できたのが印象に残っています。夏の北海道を2輪で旅するのは最高です。


青森に上陸すると、私は旅をさらにエキサイティングなものするために、その日の行先をコイントスに委ねるという方法で日本縦断を進めていきました。何が起こるか分からないからこそ旅は面白いのです。
青森から始まった日本縦断本州編は、コイントスの結果、能代(のしろ)・大曲(おおまがり)・仙台・会津若松・高崎を経て関東に入りました。途中の大曲では、たまたま滞在日と花火大会の日程が一致したおかげで日本三大花火大会に数えられる大迫力の演出を見ることができました。


コインの導くままに群馬県の高崎までやってきた私でしたが、次の目的地を決める際に当時は横浜の実家暮らしであったため“一旦帰宅”の可能性が浮上しました。コインの表裏に長野と神奈川を割り当て、投擲した結果は……

そこから先もコインの神様は内陸ルートを示し続け、高崎から松本・名古屋・京都(宇治)を通って西へ進みました。束の間の帰省は叶いませんでしたが、京都で大学の先輩の実家に一晩泊めていただくことができたので、これもまたいい意味での旅のめぐり合わせでした。

後半戦に突入した日本縦断は、中国地方を明石(あかし)・尾道(おのみち)・岩国(いわくに)泊の山陽ルートで順調に進みました。山口県の徳山(とくやま)と大分県の竹田津(たけたづ)を結ぶフェリーで九州上陸を果たし、別府温泉に宿泊して地獄めぐりを満喫。ゴールの鹿児島県がだいぶ近づいてきたので、この先はコイントスでの行き当たりばったり旅を終了してラストスパートに臨みます。目前に迫るゴールと順調な旅路に上機嫌な私でしたが、大分(ここ)で予期せぬトラブルが私を襲いました。

別府から湯布院へと続く長い登り坂の途中で、連日の炎天下での走行がたたったせいか相棒のエンジンが止まってしまったのです。通りすがりのライダーの方にアドバイスをいただいて事なきを得たものの、初めての事態だったのでだいぶ肝が冷えました。
結局その日は別府に引き返して工場で整備をしてもらい、大分にステイ。幸い一時的な不調だったらしく、翌日の相棒は何事もなかったかのように息を吹き返していましたが、様子を見つつ旅を続けることになりました。

やっとのことで大分を再出発した私は、相棒を気遣って山道や過度な走行を避け、日向(ひゅうが)・日南(にちなん)と宮崎県内に宿泊しながら九州東岸を攻めました。絶景の都井岬を過ぎると、ついにその時が……

9月9日。
北海道の知床を出発してから22日目にして、ついに私は鹿児島県入りを果たしたのです!
小さな原付バイクでここまでやって来たことに大きな達成感を覚えますが、ゴールとして設定しているのは種子島ですので、もう少しだけ旅は続きます。翌朝に鹿児島港からフェリーに乗り、種子島南端の門倉(かどくら)岬(みさき)までを走破したことで、無事に原付バイク日本縦断に幕が下りました。


知床ウトロから種子島までの走行距離は、道中でコイントスを行っていたこともありなんと4,000kmを突破していました。この後復路で門司(もじ)から東京行きのフェリーに乗船するために九州を再度縦断しましたので、最終的なひと夏の走行距離は4,500~5,000kmに及んだことでしょう。たった2ヵ月の間に50ccの原付バイクでこれだけの距離を走っていたのかと思うと、我ながら恐ろしいですね……(苦笑)
原付バイクの旅は夏暑くて冬寒く、多くの時間と体力を要する過酷な旅です。しかし、小回りが利く原付バイクは寄り道がしやすいですし、ゆっくりとしたペースゆえに沿道の小さな見どころを逃しにくいという長所もあります。何より、二輪車で旅をしていると行く先々でライダーが話しかけてくれたり、困ったことがあった時に助けてくれたりして、仲間同士の暖かさを感じられました。またいつか、こんな旅をしてみたいものです。
種子島は公共の交通機関が発達していない離島ならではの環境から、高校生がスーパーカブをはじめとした原付バイクで通学する光景が見られる特殊な土地として知られています。同じカブ乗りとして「カブの聖地を自分のカブで走りたい……!」という夢を叶えるためにゴールを種子島に設定したのです。
自分探しの旅……?
自分のやりたいことを見つけるために日常から離れて放浪する行為を「自分探しの旅」と表現するのをよく耳にしますが、こうして私がリゾートバイトと学生旅行で全国を巡っていたのは、振り返ってみると「自分探しの旅」ならぬ「自分の“住むところ”探しの旅」だったと思います。私は旅行者として観光を楽しみながら、その土地を移住の観点からも見つめ、「自分が住みたいかどうか」を吟味していたからです。
リゾートバイトがきっかけで芽生えた地方移住への憧れの種は「自分の住むところ探しの旅」を重ねる度にすこしずつ具体的な色を纏っていき、就職活動時に「地方就職希望」という形で大輪の花を咲かせました。
働く場所を軸にした就職活動のエピソードについては、次回お話したいと思います。





































